山
国産材を軸にして人と自然の関係を結び直す。

都会にいると忘れてしまいがちだが、日本の国土の約7割は山地であり、私たち日本人は山とともに歩んできた長い歴史がある。日本の森林面積は約2500万ヘクタール(2010年国際連合食料農業機関の統計による)で、国土面積に占める森林率は、フィンランドやスウェーデンなどの森林大国と肩を並べるほど。日本の急峻な地形が農地や都市への転用を拒み、高度経済成長を経た現在までも高い森林率を維持してきたと考えられる。 

そして日本には、人が森を利用することで関わり合ってきた「里山」の文化がある。日本の山村には、村人が暮らす里があり、その周辺に里山が展開し、そして神々が宿る荘厳な場としての、山伏たちが修行をする霊的な場としての奥山へと続いている。村の文化では、「森」のことを「山」という。平地林で起伏がなくてもである。

太古の昔から〝山仕事〟を介して、人と森は関係を結んできた。木を伐って家を建て、薪や炭にして燃料にし、山菜やきのこといった森の恵みを季節ごとに得てきた。また農業をするうえでも、里山は重要な役割を果たした。水田がつくれずに稲わらが手に入らない土地では、農民たちは晩秋から初冬にかけて落ち葉を掃き集めて堆肥に変え、牛や馬のために草を刈ってエサにした。

生きていくためになくてはならない里山を、村の人々は大事に大事に利用してきた。村落などでは里山への立ち入りを制限する「入会」という形態で共同管理し、里山の資源を使い果たすことなく次の世代にも引き継いできた。 

しかし昭和に入り戦争を体験してから、里山の在り方にも変化が起こり始める。戦時中と戦後の復興期に森林の乱伐が進み、山を丸裸にした。そして日本の木材需要にこたえようと、天然林を伐採してスギやヒノキを植えて人工林に変えていった。拡大造林と呼ばれるこの政策は全国に広がっていき、日本は高度経済成長期に突入していった。 

時を同じくして日本のエネルギーは石油や天然ガスに替わり、薪炭は必要のないものとなった。そして経済的な価値が社会を支配し始めると、村を離れて都市へ移動する者もいれば、山に林業経営の視点を持ち込んだ者もいた。こうしてこれまで生活の場としてあった森や畑にも商品価値が求められるようになり、人と森とがつながる伝統的な使い方は廃れていった。 
人と森との関係が変わり始めてから半世紀が経った今、日本人は人と自然のつながりをようやく取り戻そうとしている。失って初めて大切なものに気づかされたのだ。ワイス・ワイスは思い始めた。人と自然、人と人とが新しいかたちで関係を結び直せる家具づくりを、国産材を軸に実現することができるのではないかと。


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